嗚咽

先日、発病以来初めて泣きました。

というか、泣くのってなん十年ぶりだろう。

(映画とか本読んで感動して泣くのを除くと)

 

発病したときは、あまりに非日常的過ぎて、驚いたり、痛みや痒みに耐えたりするので精いっぱいで、悲しんでいる余裕もありませんでした。

 

また、オムツ生活を自覚したときに、心のスイッチを切り替えました。

この現状を受け入れ、その上で回復に勤しむ方に。

 

また、こうも思いました。

自分が明るくしていれば、周りの人はそれ以上暗くならないハズ。

「何でお前がこんな目に」と言う親に、

「海外出張中や単身赴任先で発症してたら、下手したら死んでたかもしれないよ。色んな幸運が重なって、今生きている。僕はラッキーなんだよ。世界一幸運かもしれない。僕が暗くなってないのに、周りが暗くならないでよ~」と伝えました。

 

そして、

「悪いことばっかり起こる」という妻に、

「いいこと起こってるよ。子供がかわいい」と教えてあげられた僕。

 

でも、今。

 

僕の病もトリガーとなり、苦しんでいる人たちがいます。

僕のすぐ周りにいる人たちです。

 

人は心に余裕がなければ、色々なことが捌けません。

思わず言ってしまったであろう心無い言葉も、受け流すことが出来ません。

特に僕自身ではなく、僕の周りの人に対する言葉は受け流せません。

前はもっとうまく捌けたはずなのに。

毒のある言葉を投げつけられても、捌いたうえで相手の心配をする余裕があった。

今は、その余裕がない。自分の気持ちで精いっぱい。

 

自分の気持ちで精いっぱいなことに気づいてしまうと、

わざと目を背けていた色々なことも浮かんできます。

仕事やプライベートのことで積み重ねてきたものの幾つかが失われてしまった。。。

 

体が動かせるだけで幸せ、家族がいるだけで幸せ、当たり前の生活の中には幸せが溢れていることに気づいた時には、些細なことでしかなかったものが、また大きく見えてきます。

 

失われたもの、変わってしまったものが悲しくて。

そして、そう思うこと自体、悔しくて。情けなくて。

 

気が付いたら、嗚咽してました。

こんなんじゃなかったんだって。

 

病気で心も苦しくなるって、他人事だと思ってました。

難病で苦しむって、身体だけでなく心が苦しんでいる人も多いのかも。

これが難病の闘病ってやつか。。。つらいですね。