2日目の午後

タケです。

 

両親と会うところからです。

 

両親は、昨日(入院初日)は、丁度、関東にまで旅行に来ていたとのことだったので、途中に立ち寄るのだと思っていたら、昨日までの旅行だったらしく、昨晩、大阪に着いて、今朝、発ってきたらしいです。

昨日夜遅くに旅行から帰ったばかりで疲れているだろうに、早朝からこちらに向かってくれたようで申し訳ないです。

 

妻と一緒に登場したので、どこかで待ち合わせて一緒に来たのかと思いきや、大阪から直接来たら、偶然途中で妻に会ったらしいです。

凄い偶然だな、と思いつつ、今回の病気は何か(いい意味で)ツイてるかもと感じました。

 

僕の両親は大阪に住んでおり、実は今年のGWは、大阪に行く計画を立てていました。

子供たちが生まれてから大阪に殆ど行けておらず、ことあるごとに孫たちに遊びに来て欲しいというジジババに、親孝行のつもりで企画していました。

孫たちを連れていく場所の候補を色々調べていたりして、事前に候補リストを送ってきていたくらい楽しみにしていた様子でしたが、この状況ではさすがに無理だと伝えました。

まぁ、お見舞いをきっかけにして孫たちに会うことが出来たので、少しは良しとしてもらおうかと。

 

それにしても、いきなり手足が動かなくなった息子の姿は親にはどう映ったのだろう。

取り合えず、首から上は動くし、しゃべることは出来るため、心配させないように、出来るだけ元気に話すように少し心掛けてみました。

 

この時の僕は、足を動かせないことで血栓が出来てしまわないように、足に膝までのストッキング(弾性ストッキングと言うらしいです)を穿いて、その上から、ばねの様なもので足をグルグル巻きにして、機械で自動的に締め付けたり緩めたりしていました。

また、両腕と首(と、見えないけれど尿道)からは、管が出ていて、両親曰く、磔にされているみたい、とのこと。

ただ、元気に会話したのが功を奏した様で、安心した、と。

一生懸命調べてきたであろうギラン・バレー症候群についての知識を披露してもくれました。

 

また、妻は妻の方で、入院初日にお願いした会社関連への連絡はしっかりやってくれていました。

連絡した相手の方々からは、やさしい言葉を頂いたようで、会社の周りの人には恵まれていたことを改めて感じました。

連絡した相手に対する妻の感想を聞きながら、やはり少しの会話でも為人は伝わるものなのだなとも思いました。

妻からの高評価に、会社の方々を少し誇らしく思ったりもしました。

そして、急にこんなことになって色々パニックになりかねない中で依頼したことを安心して頼める妻のことも。

 

これで、とりあえずの心配事は消えた。

 

仕事についても幾つか気になりますが、色々と手を尽くそうにも、いつになったら手足が動くのかもわからないし、今のままでは、電話で話すことも、メッセージを打つことも出来ないので、中途半端に関与せず、いなくなったと思ってもらうしかないと考えました。

 

なお、初日の帰り、子供たちが救急車に乗って帰りたいと駄々をこねたらしいです。

子供たちよ、父の体を張った救急車体験、存分に楽しめたようでなにより。

そして、今後は乗らないでおくれ。

 

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