ギラン・バレー発症の記憶3

入院して5ヶ月が経ちました。タケです。

 

それでは、入院する日のことを頑張って書いていきます。

 

3/24の目覚めは早かったです。

 

早朝に目が覚めると、お腹が少し痛い。

トイレに行こうと、体を起こそうとすると違和感ありあり。体に力が入らない状況から脱していない感じ。何とか体をねじってベッドから下り、何とか立ちあがる。

足に力が入らない為、うまく足の上に体を乗せないと、倒れてしまう感じがする。膝をあまり曲げないように部屋の入り口まで歩き、廊下の両壁に手をつきながらトイレに向かって歩く。

トイレで用を足すと、そこで大きな発見をする。

 

手に力が入らない。。。

 

紙を持った手首が手前に曲がらないのです。

これではおしりを拭けない!!

 

焦りつつ、精いっぱい手を伸ばす。

 

誰かを呼ばなければならないか。

もしかしたら、トイレに来たこと自体が失敗だったか。

おしり丸出しで、おしり拭けないまま朝を迎えるのか。

 などと、いろいろな思いが浮かびながら、

限界を超えたと思えるくらい手を伸ばしに伸ばして、

なんとかおしりに手が届いた。

 

やった、第一関門突破!

 

トイレからよろよろと立ち上がり、下着とズボンを上げる。やればできる、何でもできる、私にできないことは無いと自分に言い聞かせ、立ちあがってこけないように、頭を壁につけて体を支える。

力が入らない手に力を込めて、下着とズボンをなんとか引き上げた。

 

よしっ、第二関門突破。

 

 再び、廊下の両壁い手をつきながらヨタヨタと寝室に戻る。

 何とかベッドまでたどり着いて倒れ込むと、改めて状況を整理する。

昨晩は、腕や手は力がなかったが動いてはいた。

しかし、今は腕や手の可動域が小さくなり、手首を動かすこともままならない。

朝になって家族が起きたら救急車を呼ぼうと心に決める。

 

子供のころの救急車の記憶を思い出していました。

 

幼稚園の頃、一度救急車で運ばれたことがある。
家でお腹が痛くなり、お腹が痛い痛いと母に訴える。
ただ痛みは常に強かったわけではなく時々強くなる程度。
放置していてもそのうち治るかもしれない。
本当に痛いのか、我慢できないのかと言われる度に、問い詰められたような気になり、折れそうになる心に負けじと、痛いと言い張ってみた結果、
親は近所の内科の先生に電話をかけ、夜にもかかわらず診てもらうことになった。

 

その結果、救急車で大きな病院に行くこととなり、思いのほか大ごとになってしまったと心がさらに折れそうになる。
気のせいか何だか、お腹の痛みも和らいできたような気がする。
そうこうしているうちに、救急車が到着し、担架の様なものに乗せられ、救急車内で
酸素マスクの様なものをはめられる。

 

生まれて初めての救急車である。
そのうえ、生まれて初めての酸素マスクである。
ヤバい、少し興奮してきた。
救急車が走り出す。赤信号も止まらずに。
これが噂に聞く救急車は赤信号止まらなくていいってやつか、
と窓から景色を眺めるうちに、気分がよくなってきてしまい、
いよいよ、お腹は痛くなくなってしまった。
ここまで大ごとになって、何もありませんでしたじゃまずい、
病院の検査で問題があるように祈ったものである。
なんの病だったかは忘れたが、結局、幸いにして、
何らかの異常が見つかったようで、一週間ほど入院した。

 

そんな、淡い記憶を思い起こしながら、朝になるのを待っていました。

 

窓から朝の光が差し込み、部屋が明るくなってきたころ、ちょまが笑顔で部屋に入ってきました。

ちなみに、我が家は、妻と子供たちが同じ部屋で眠り、僕は一人別の寝室で寝ています。

単身赴任のため、普段一緒に過ごしてやれない子供たちは、休日になると異常に早起きになります。

そして、僕が寝ているベッドに潜り込んできて、暫く一緒に横になるのが、いつもの休日の朝の光景です。

 

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