ギラン・バレー発症の記憶1

暫く間が空いてしまいました。病院でオンライン英会話をやっていると、英会話講師から「あなた、本書きなさいよ」と勧められたタケです。

 

本を書く代わりにとりあえず、ブログを書き進めようと思います。

 

今日は、ギラン・バレー症候群を発症したあたりの記憶について書いていきます。

 

ギラン・バレー症候群発症した方々のブログなどを見ていると、

発症直前、超忙しかったという記載をよく見かけます。

もしかしたら、過労による体力低下やストレスなどが、発症と関係しているのかもしれません。

いずれにせよ、僕も今年の3月に発症するまでは、結構忙しい日々を過ごしていました。

 

会社に夜12時頃まで残って仕事。

朝は海外との会議があるため、日によりますが、7時ー8時出社。

2ヶ月に1回程度の海外出張。

家族と離れて単身赴任。

ひと月に2回程度、家族のもとにかえるものの、家に着くのは金曜の深夜1時。

土曜の朝は、なぜか土曜朝に限って早起きする子供たちと遊び、朝ご飯の準備。

それでも、子供と会えるのが生きがいと、日曜の夕飯まで家にいて、

日曜深夜に赴任先に着いたら、月曜朝から仕事の生活。

 

ただ、病欠もなく、ある意味規則正しい生活でもあったので、

そこそこ健康に暮らしていると思っていました。

 

そして、3月に入って早々、オーストラリア出張。

 

南半球の為、季節は夏の終わり頃。

夏の国に出張だからと薄着で臨んだところ、会議室のエアコンが効きすぎて寒く、軽く風邪気味に。喉とお腹にきましたが、特別ひどい症状では無かったため、そのうち治るだろうと思っていました。

 

そんなおり、妻から体調が悪いので病院に行きたいとの連絡。

 

滅多に休みを取らない為、年度末で消滅してしまう有給休暇も沢山余っていたこともあり、休みをとって妻を病院に行かせることに。

この出張中に、翌週はアメリカ出張が決定。アメリカ出張後、日程的に直接家には寄れないので、お土産を持って家族に会いに行こう。あわよくば、自分もその間に病院にでも行って薬をもらおうかと。

 

今思えば、この判断が奇跡的に命を救うことに。

 

オーストラリアから帰って一旦家族のいる家に寄りました。

実はこの時、膝のあたりに痛みを感じていましたが、そのうち治るだろうと放置していました。 

 

翌週、出社後、すぐアメリカに発って3/18(日)の夜に帰国。

3/21(水)が祝日の為、3/22、23をお休みにすることに。

3/19、20と働いて、3/20夜は送別会に参加。

二次会にも参加し、3月いっぱいでお別れになる方々との名残を惜しみ、

翌3/21、家のある千葉に向かいました。

 

3/22は、妻を病院に行かせて、子供たちと工作して遊びました。

この時は、体に少しだるさを感じていたものの、海外出張続きでもあるし、風邪がまだ治りきらないなぁと思っていた程度でした。

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