真逆の意味を持つ言葉

タケです。

 

リハビリのためにタイピングしていたのですが、昨今文字数が多過ぎたからなのか、指が痛くなったため、少し指を休めろとのこと。

 

ということで、短い雑談です。

 

ちょっと前に、アジア大会でバスケの選手が日本代表のユニフォームのまま歓楽街に行き買春したのが見つかって、騒がれていました。

 

ところで、この「買春」、なんて読むかわかりますか?

 

正しくは、「ばいしゅん」ですが、「かいしゅん」とも読みますね。

 

どうも真逆?の意味の「売春」も「ばいしゅん」と読むので紛らわしい。

ということで、買春は「かいしゅん」と読むことになってきたのだとか。

 

ちなみに上を訓読み、下を音読みといった風に混在させた読み方を、湯桶(ゆとう)読みと言うそうです。

でも「売買春」は、「ばいかいしゅん」ではなく「ばいばいしゅん」ですね。

 

さて、この真逆の意味なのに音が一緒って紛らわしいなと思ったときに、思い当たったのが、英語のrent

 

(なに、この無理やりな展開)

 

rentの意味は、

 

賃借する

賃貸する

 

って、

音どころか字も同じくせに真逆の意味ってどいういうこと?って感じです。

 

例文

I rent this room from him.

私は、この部屋を彼から借りている

I rent this room to him.

私は、この部屋を彼に貸している

 

文脈によって、真逆になります。

このような言葉を、”Contronyms”というらしいです。

 

他にも、

 

consult

専門的アドバイスを求める

専門的アドバイスをする

 

dollop

沢山

少し

 

sanction

認める

制裁する

 

screen

隠す

見せる

 

seed

種をまく

種を取り除く

 

wind up

終わる

始める

 

って、どっちやねん!って突っ込みたくなる単語は沢山ある様です。

一つの意味しか知らなければ、ドはまりすることこの上なしですね。

 

今日、読んでいた文中に出てきた、”screen”の意味を調べていた時に思った次第です。

 

 

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ギラン・バレー発症の記憶9

タケです。

 

血漿交換の開始からです。

 

まずは、首から飛び出している管に、注射器の様なものをつなげて、血を抜き取ります。

そして、その血を布のようなものの上にちゅ~って出します。

って、何、そのちゅ~って。無駄遣い??僕の貴重な血を。

と言っても血漿交換は血液浄化法の一種。不浄の血ですけど。

ファンタジー好きには、敵味方区別なく襲い掛かる狂戦士的な血って言いましょうかね。

 

そのちゅ~儀式の後、機械から伸びている管に首の管をつなげます。

 

こんな体験二度とできない。記録に残すべし!!

 

っと思ったので、丁度、子供たちを一時的に看護師さんに預けてきた妻に、写真を撮ってくれるように頼んでみました。

 

しかし、却下。。。

不謹慎だとか言って、断られてしまいました。う~ん。

このことが、後日ちょっとした騒動?に繋がるのですが、それは後ほど。

 

妻は子供たちのところに戻っていき、グィーンといった鈍い音とともに、血液が首から機械に抜き出されます、そして血漿を取り出して代わりの何か(多分血漿アルブミン)を入れてまた首に戻っていきます。

 

何となく、体中の血流を機械で流されている様な感じがしました。

特に、末端の手や足の血の流れを感じました。

 

血漿交換は、2~3時間くらい。

その間、出来ることと言ったら、目を閉じるか開くことくらい。あと独り言。

手も足も動かず、首も動かせずなので、何も出来なかったのです。

何をするでもなくただ看護師さんたちを遠目に眺めてました。

時計も目に留まるところに無いため、時間すら分かりません。

 

そして、血漿交換が終わりました。

 

血漿交換のせいで血圧が下がったのでしょうか、それとも神経の損傷が進んだのでしょうか、体がだるく、力が入りません。意識も少し朦朧としていました。

 

そんな中、妻がまた戻ってきました。

ちょまが待っている間に看護婦さんと一緒に作ったという作品を持って。

 

赤い画用紙に、折り紙で折った兜などが貼ってあり、

「パパがんばって。パパだいじょうぶ。」

と息子の字で書かれていました。

 

息子よ、パパは頑張るぞ。絶対元気になるからな。

意識が朦朧としていたのを、繋ぎとめてくれました。

しっかりしなきゃ。

 

ちなみに、のんも同じように看護婦さんと一緒に何か作品を作っていたらしいです。パパを元気づけようねって。

ただ、どうも作っているうちに気に入ったらしく、持って帰ると言ったそうな。

 

。。。娘よ、当初の目的を見失っているぞ。

それは、パパのために、、、何も言うまい。

 

視界に時計がないため、時間が全く分かりませんでしたが、妻曰く、子供たちも病院に来て7時間ほど経っていて限界。

長崎から、お義母さんが文字通り飛んで来てくれたので、一緒に帰るとのこと。

 

お義母さん、バス飛行機電車と乗り継いで、遠いところに有難うございます。

朝、救急車で運ばれたのを妻が連絡したところ、早速来てくれるなんて有難すぎます。 

 

仕事をするつもりで、救急車に乗るときに、妻に念を押して荷物に入れてもらったパソコンを持って帰ってもらうことに。

 

ICUに来る前に、色々と検査されながら、どのくらいで治るものなのかを聞いてみたところ、1ヶ月の人もいれば、1年以上かかる人もいる。

会社には取り合えず、1ヶ月以上かかると伝えておきなさいとのことでした。

 

救急車に乗るときは、1週間くらいの入院をイメージして、

病院の中から仕事の調整をあれこれしなきゃ、と考えていました。

あれの代役立ててもらって、あれは少し待ってもらって、、、

 

しかし、1ヶ月以上と聞いて、頭が切り替わりました。

仕事のことは忘れよう。いなくなったと思ってもらうしかない。

 

また、大丈夫、治るよと何度も言われたことから、治らない場合があることも推し量られました。

 

妻が帰る前に、会社関係への連絡を頼みました。

今日はもう遅いから、今日ではなくてよいが、月曜日になる前に連絡しておいてほしいと伝えました。

 

連絡すべき相手と、それぞれへの内容と連絡手段を伝えます。

とある会社から別の会社に出向しているという特殊な状態であったので、出向先の会社と出向元の会社双方に連絡が必要です。

初めて話す相手ばかりな上に、しかも休日にいきなりの話題。

大変だとは思いましたが、こういう時に安心して任せられる妻でよかったと思いました。

 

妻が帰り、いよいよ、入院生活が始まったと感じました。

 

ナースステーションのド真ん前で、頭を少し上げた状態で寝ている僕ですが、

体が動かないので如何せん、何もすることが出来ません。

看護師さんたちは、こちらが呼ばなくても時々近づいてきては、のどに変な感じはないか、つばを飲み込みにくいとか、息をしにくいとかはないかと聞いてきます。

 

人工呼吸器をつけるべきかどうかを確認している様子。

心なしか呼吸は浅い気がしますが、悟られると、人工呼吸器をつけられるに違いありません。奴らはチャンスを狙っています(笑)

まぁ、実際まだ問題になるほどではない。

ただ、症状が進めば息が出来なくなるかもしれません。

明日の朝、どうなっているんだろう。

思ったより、冷静でいられるもんだなと思いました。

これって、昔スカイダイビングしたときの心境ににているかもと思ったりします。

 

体が動かない為、出来ることがない。

一人しりとりでも、と一瞬思った自分に笑いました。

 

朝からあったことを思い起こしながら、子供たち救急車楽しんだかなぁ、などと考えました。

救急車を呼ぶ前に準備を終わらせるように妻に指示したのは、我ながらナイスな判断だったとほくそ笑む。

ピンチの時には却って頭がクリアになるものかも知れません。

 

色々考えながら、少し休むことにしよう。

目が覚めた時にすぐに見えるようにメガネはかけたままで。

さて、その時に息が出来ているだろうか。。。

 

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7の法則を調べていたら、日本語の難しさに直面した話

タケです。

 

「7の法則」というのを聞いたことはあるでしょうか。

品質管理の「7の法則」を調べていたところ、他にもいろんな、「7の法則」がある様です。

 

いろんな「7の法則」

  

品質管理の「7の法則」

品質管理の考え方の一つで、7回連続で同じ結果が発生した場合には、何らかの原因があるという考え方です。

0.5の7乗は、0.0078125。約0.8%の確立で起こったことは偶然ではない。

例えば、本来50%の確率で出るはずのコインの表が7回連続で出れば、それはコイン自体や投げ方など何かに問題があるとして、コインを調べたり、投げ方を調べたりと原因究明して対処しようという考え方です。

何かの平均があったとすると、平均以上になる確率も以下になる確率も50%ですから、平均以下や以上が7回連続で発生したら、何かに問題がないか確認してみましょう。

 

会議の参加人数の「7の法則」

会議の参加者が7人を超えると、1人増えるごとに優れた判断を下せる可能性が10%減るというもの。17人を超えると意思決定の効果が0になるのだとか。

そして、会議はなるべく6人以下で行いましょうとのことです。

 

president.jp

 

ちなみに、AmazonのCEOジェフ・ベゾスチームは「2枚のピザで足りる人数」のサイズがよいとのこと。

ピザを食べながらのミーティング。2種類のピザを6枚切りにして用意しておくのが良さそうですね。

www.lifehacker.jp

  

ところで、会議の参加者の「7の法則」を読んでいて、何かが引っ掛かりました。

何か違和感がある。。。

 

ということで、とりあえず計算してみました。

7人を超えると判断力が10%減るとすると、

  1. 8人目から1人増えるたびに判断力が「7人までの判断力を1とした時に」10%マイナスされるとすると、17人目で0ですね。
  2. 8人目から1人増えるたびに判断力が「増える前の判断力を1とした時に」10%マイナスされるとすると、0.9倍されていき、29人目で0.1を割り込みます。

この記事では1.「7人までの判断力を1とした時に」という考え方を取っているようです。

なるほど、1人増えるごとに10%減るという時の、10%の解釈について2通り考え方があるってところに引っ掛かっていたのかな、と思ったら、もう一つの引っ掛かりポイントが見つかりました。

 

「7人を超える」と「17人を超える」の「超える」の意味です。

 

記事には、「7人を超える」と1人増えるたびに判断力10%低下と書いてあります。

ということは、8人目から0.9になる訳ですよね。

ところが、「17人を超える」と意思決定の効果が0と書いてあります。

先の様に、「7人までの判断力を1とした時に」10%低下するという前提で計算した場合、、、

 

8人目が0.9。

16人目は0.1。

17人目が0。

 

ここで改めて思った日本語難しさ。「超える」って難しいですよね。

7人を超えると何とかとするっていうときには、7人目を含むのか含まないのかって一瞬迷いませんか?

実は、「超える」は基準となる数字を含まないようです。

つまり、7人を超えるって言うときには8人目からを意味します。

そうすると、元記事の17人を超えると効果が0というのは実はおかしくて、

16人を超えると効果が0になるというのが正しいようですね。

 

あえて言えば、会議はなるべく6人以下 は 7人以下でよいのかもです。

日本語って結構あいまいに使っていることを改めて顧みた次第です。

 

 

核攻撃から身を守る「7の法則」

さて、一番大切そうな「7の法則」行ってみましょう。

核攻撃を受けた時の対応について、総務省消防庁の資料3ページ目の右下に下記の様な記載があります。

「7の法則」・・・残留放射線の累積線量は、7時間ごとに1/10ずつ減衰する。したがって、地下施設に2日間(49時間)退避することにより、放射線量が当初の数値から1/100に減衰する。

これは解釈が難しいです。

1)7時間ごとに最初を100とした場合に10になる。

  最初100 → 7時間後10 → 14時間後1

2)7時間ごとに最初を100とした場合に90になる。

  最初100 → 7時間後90 → 14時間後80

3)7時間ごとに0.9倍になる

  最初100 → 7時間後90 → 14時間後81

4)7時間ごとに0.1倍になる

  最初100 → 7時間後10 → 14時間後1

あたりが想像できますが、いずれの場合も、

49時間で100→1になりません。

 

放射線量は最初の7時間で1/10になり、かつ、時間が7倍経過するごとに放射線量が1/10になる

 

という場合には、下記が成り立ちます。

  最初100 → 7時間後10 → 49時間後1

綺麗に成り立ったように見えますが、最初の7時間と以降の放射線量の減り方が激変しているため、違和感アリアリです。

 

もしくは、そもそもの前提を変えてしまいかねませんが、「当初」という言葉が間違っていると考えてみて、

 

放射線量は、時間が7倍経過するごとに1/10になる為、最初から1時間後を基準にした場合、7時間後に1/10になり、49時間後に1/100になる

 

といった場合には、下記が成り立ちます。

  最初不明 → 1時間後100 → 7時間後10 → 49時間後1

 

これだと、放射線量の減り方に法則性がありますし、数字も成り立ちます。

きっと、総務省の資料は誤りなのではないでしょうか。

いずれにせよ、核攻撃を受けた場合は、2日間は屋内出来れば地下に隠れておくべし、ということでしょう。

 

これまで、いろいろな「7の法則」を見てきましたが、日本語の難しさを改めて痛感した次第です。

 

 

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ギラン・バレー発症の記憶8

タケです。

 

今日の病院での夕飯にスイカが出ました。

 

奇しくも、リハビリ中に「瓜田に履を納れず」という言葉を知ったその日に。

「李下に冠を正さず」とセットで、瓜田李下(かでんりか)」という言葉もあるんですね。

人に疑われるような言動は慎まなければならないということで、昨今の政治家や体育団体のみならず、気を付けていきたいものですね。

 

さて、集中治療室での処置、というより、今後の処置に向けた準備が終わると、

医師が看護師に指示を出していました。

 

これから運ばれていくのはICUIntensive Care Unit)日本語で集中治療室

あれっ、じゃあさっきまでいた場所は何???

改めて確認すると、ER(Emergency Room)日本語で救急救命室とでもいうのでしょうか。

 

いずれにせよ、運ばれていく先はICU

それもナースステーションの一番近くの場所。

ナースステーションの一番近くってどんな感じ?と思いながら聞き耳を立てる。

 

ベッドのままERから出ると、妻と子供たちが近づいて来ました。

おぉ、子供たち~と思ったのですが、首から出ている管が邪魔で、唯一動いていた首が自由に動かせず、上手く横を見れません。

 

進んでいくベッドの横を、子供たちが急ぎ足でついてくる。

ICUは子供の入室禁止らしく、ベッドに付いてきた3人とは入り口でお別れ。

ERを出てICUの入り口までは、ほんの少し。一瞬でした。

 

ここでお別れだよ、と言われ、ベッドの上の父を見ながら、子供たちは「ばいば~い」。

ちょまのん、君たちはこのバイバイの意味が分かっていっているのだろうか。

父は入院するのだ。

本当のバイバーイになったりしないよな。

次はいつ会えるのかな。

絶対帰ってくるからなと頭をかすめる。

 

殆どベッドから天井を見ながらの移動だったので、どこをどう進んでたどり着いたのかは正直よく分かりませんが、大きな部屋の中に入っていき、ベッドが設置されました。 

ICUの中は、一つの大きな病室の中にカーテンで間仕切られた各ベッドとナースステーションというか、看護師の机や備品が置かれた作業スペースがある感じでした。

間仕切られた個々の患者のスペースはベッド3台くらい入りそうなほど広いです。

中でも、僕のベッドが設置されたのは、そのナースステーションのド真ん前。

足をナースステーションに向ける形。

少しベッドの頭の方を起こしてくれたので、丁度、目線の先に看護師たちがいる形です。

向こうがこっちを観察しているのか、こっちが向こうを観察しているのかという感じで、常に目が合いそうです。

 

◇位置関係 

ナースステーション(沢山の看護師がワサワサ作業中)

計器のモニターや端末(たまに医者や看護師が近づいてモニター見てる)

カーテン(しかし開いてる)

ベッド(足の方)

ベッド(頭の方)

見えない世界(いろいろあるみたいだが、首が動かず姿勢も変えれないので見えない)

 

という感じです。 

 

ちなみに、看護師さんに用事がある場合は、通常、ナースコールというボタンがあり、これを押して知らせるものですが、如何せん、手が動かず、ボタンを押すことが出来ません。

その為、ボイスコールというものが頭の横に設置されました。

横からマイクの様なものが口元に伸びてきて、息を吹きかけると、ランプと音で呼んでますよ~と知らせるという代物です。

息で反応させるので、ブレスコールと呼ぶべきですが、看護師さんは皆、ボイスコールと呼んでいました。もちろん設定で声に反応させることも出来るようです。

 

このボイスコール、息を吹きかける角度と強さが難しく、何度もフーフー息を吹きかけても鳴らないときは鳴りません。

かと思えば、何気なくフッと息をついたり、くしゃみをしたりすると鳴ってしまい、「どうしました?」と看護師さんが近づいてきます。

 

とは言え、このボイスコールが何かあったときに助けを呼ぶ生命線です。

少し体の向きを変えてもらう度に、ボイスコールの位置や向きを変えてもらい、テストで息を吹きかけて、一度必ず鳴らせるかをしつこいくらい確かめさせてもらいました。

 

足元で計器を見ている看護師さんに医師が近づいて、何やら指示しています。

はっきりとは聞き取れませんでしたが、何とかの場合、人工呼吸器を躊躇せずに行くよ、といった指示の様でした。

 

さっきも、今日中に人工呼吸器をつける可能性があるが、承知してほしいとか言われたので、逆に人工呼吸器ってつけない方がいいのでは、とよく分からないながら、出来れば避けるべきものだと頭にインプットされました。

 

それもこれも、これから行う血漿交換の効き目次第。効かなければ、今晩中に呼吸が出来なくなり、人工呼吸器が取り付けられるのです。

 

医師たちが、首から出ている管に、何か機械をつなげ始めます。

いよいよ、血漿交換の開始です。

 

血漿交換

人の血液は、赤血球や白血球などのいわゆる「血球」とその他の「血漿」で成り立っています。そして、神経を攻撃していると思われる抗体は「血漿」に含まれます。

体から血液を抜き取り、「血漿」を取り除いて、健常な人から集めた「血漿(若しくはアルブミン)」を加えて体に戻すことで、血液を正常化するという方法です。

 

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ギラン・バレー発症の記憶7

タケです。

 

毎日ブログ更新をリハビリとして課していますが、未だルーチン化出来ていません。

まだ試行錯誤しています。

 

さて、治療方針も決まり、集中治療室?の様なところに運び込まれたところから、いよいよ治療が始まります。

 

首から下は殆ど動かせない僕の周りを医者と看護師が取り囲んでいます。

そして、そこからはされるがままです。

 

まずは、脳脊髄液の検査をするとのこと。

これを腰椎穿刺(ようついせんし)と呼ぶらしいです。

背骨の間に注射針を刺し、脳と脊髄を保護する髄膜という膜の中にある髄液を採取します。

ちなみに、脳脊髄液は髄液とも言いますが骨髄液とは全く別物。

 

なんてことは後で調べて理解することになります。

 

複数人で体を横に向けられて、背中を丸められます。

「もっと背中丸めて」と言われましても上手く動くことが出来ないので、数人がかりでエビの様な姿勢を作ってもらいました。

そして背中に、数回麻酔を打たれます。

 

なんかこれ、うわさに聞く背中から太い針刺される痛いやつじゃないの?

(この時点では、骨髄液と髄液の違いが正しく分かっておらず、似たものだと勘違いしていました)

 

そして、いよいよ髄液の穿刺が開始。

と思ったら、上手くいかないのか、何度も針を刺しては抜くを繰り返されます。

 

「もっと丸めてみる」だの言いながら体丸める担当が丸めてきます。

「誰が顔見てるの?」という声が飛ぶ。

どうも顔見る担当という仕事もあるらしいです。

辛そうな顔をしているかどうかを他の作業者に伝えるのがその役目の様子。

 

なかなかの分業体制だな、と感心しながらも、あまりにうまくいかない様子に、

大学病院だから若手に練習させてるんじゃないかと邪推。

横向きに寝ながら体を丸めている上に、それを複数人が覆いかぶさるように押さえることでその体制を維持してるのです。

そのため、背中で何が行われているのかは見えません。

 

何度も何度も針を刺されて、麻酔が効いていても全く痛くないわけではないし、針が背骨の隙間につっかえる感じは痛いというより苦しいです。

 

やる方もしびれを切らしたのか、針刺し担当が変わった様子。

 

その途端、

するっ、ズブズブ

っといった感じで針が背中の奥に入っていくのを感じました。

 

 「おおぉ~」「さすが!」といった声が上がります。

 

おいおい、始めからそうしてよ、と思いながら、漸く体を丸める担当たちから解放されました。

 

ここで、いったん体を起こされ、改めて周りを多くの医者や看護師に囲まれていることを認識します。

 

「どんな気分ですか?」と聞かれ、

「う~ん、なんか面白い状況ですね」と答えました。

「へ?」

「いや、ドラマかマンガの世界にいるみたいな。ちょっと楽しい」

「。。。これ、まぁまぁ重症なんですよ」と医者。

 

続いてまた、体を横にされて、穴の開いた大きな布を被せられます。

首に穴が来るようにして、処置を行うらしいです。

 

おぉ、これって、ドラマとかで見る手術のやつじゃない?

っと少しミーハーな気分になる。

周りをまた複数の医者と看護師が、がっと囲む。

救急救命のドラマのシーンでよく見るやつっと少し嬉しくなる。

 

どうやら、首の静脈にカテーテルを入れるらしいです。

そこから血を抜き出して、血漿を取り除き体に戻すのが血漿交換療法。

 

今度は首に麻酔を打たれます。

首に穴を開けられながら、

「これって、手術歴に入りますか?」と期待を込めて聞いたところ、、、

 

「大丈夫。入りません」(にっこり)

 

大丈夫じゃないぃぃぃぃ。

手術歴ゲットォ~と小躍りしかかった心が一転涙する。

 

どうせここまで来たら、手術もしちゃったんだよね、大変だったんだよ~的なエピソードにしたいじゃない。今後、医者にかかったときの最初の問診に手術歴アリとか、書けるくらい爪痕残せやと。

 

こちらも、なかなか上手くいかないようで、穴の開いた首に管を刺したものの、静脈にうまく刺さらない様子。

首の中に管が入った感じはあるのですが、そこからあっちにグリグリ、こっちにグリグリ、また抜かれたり刺されたり、これまた、結構時間がかかっていました。

その時、ビクッと肩から肘を通って小指まで電気が駆け抜けました。

どうやら神経に触れたらしいです。

あまりの痛さに、首の痛さどころではありません。

 

本来、痛いと感じるべきところより別のところが辛くて、本来のところの痛さがよくわからないって、、、

これって、さっきの尿道カテーテルとおんなじパターンやないか~い。

 

「こんなに大変なのに、手術歴に入らないなんて」

とさっきの医者に恨み言を言いました。

 

漸く静脈にカテーテルが入ったらしいです。

かなり時間がかかりました。

 

「腕の痛みは強くなってない?」との問いに、

「強くはなってない」とは答えたものの、かなり体力を使い、ぐったり。

手足が動かない人がぐったりしているのって、表情以外から見て分かるのかしら。

 

「ごめんなさい、もう一本挿しますね」

さらに、もう一本カテーテルを挿さないといけないとのことです。

こっちは、動脈に挿したようで結構深くまで刺さっている感じです。

 

これを、Aラインと言い、動脈に挿したカテーテルから血圧や脈をモニタリングするのに使います。

ハイ、ここ~、何かのテストに出るから覚えておくように。

そしてこのAライン。引き抜くと血が吹き上がります。さすが動脈。

やってみると分かります。

ただ、やらないことをお勧めします。

 

医者と看護師が僕の次の行先について話していました。

どうも次は、ICUに行くらしいです。

 

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ギラン・バレー発症の記憶6

ブログに広告を貼らせて頂き、医療費の足しにしようと虎視眈々と狙っているタケです。

 

なんと、早速広告収入がありました。2円

振込手数料引いたらマイナスですけど。。。

いずれにせよ、ご覧の皆様有難うございます。引き続き頑張って書いていきます。

クライアント様ともども御贔屓に。

(いっぱしのメディアの気分)

 

さて、尿道カテーテルのお話からです。

この記憶は、この入院生活の中で辛かったことを上げるとすると5本の指に入るかもしれない程の辛く悲しい記憶です。

 

「えっ、そっそんな、いま刺激を与えると出る!」

 

今にも破裂しそうなくらい、尿意を催しているなか、そこに管を突っ込んでいこうとするのです。

 

「今は出さないでっ」と言いながら管が突っ込まれていく。

「いやっ、無理無理、出る出るっ」

「ダメダメ」

と激しい攻防?が繰り広げられます。

 

尿道カテーテルを挿すのは痛いと聞いていましたが、痛さよりも、排尿を我慢する辛さが大きく勝っていました。

 

限界まで耐えに耐え、あまりの辛さに耐えきれず、

「出るぅ~」

泣きそうになりながら、いや、もはや泣いていました。

 

その諦めにも似た泣き声と同時に医者が、

「もう出てる」

どうも、膀胱まで管が届いたらしく、管を伝わって尿が管の先のパックを勢いよく満たしていった様です。

 

その勢いを見た医者は、「これは、かなり溜まっていたみたいだね」と言う。

そりゃそうですとも、そもそもトイレに行きたいから救急車を呼んだんです、先生。

それから既に半日は経っていると思われます。

 

病院に着いて早々の山場を迎え、無事?乗り越えた感がありました。

その後、さらに奥の部屋に運ばれ、別のベッドに移されました。

 

ここは大学病院。さっき話した医者とは別の医者達が来て、同じような質問を繰り返します。

さっきも話したんだけど、、、と思いながら同じように答えていきます。

お婆さんに追い抜かれた話から、今月2回海外出張に行った話など。

さらに、先輩風の医者が若手風の医者に対してクイズを出しながら会話は進んでいきます。

「この場合、xxxと診断できない理由は何?」とかかんとか。 

 

暫くしたら、また、最初の医者もやってきて、今度はどのくらい力があるか腕を引っ張たり、足を押したりします。

「これは、1。これは、、、0。。。」

また、振動している棒を当ててみたり、温めてみたり、目の前が二重に見えないかを確認したり。 

そして、先の尖ったもので刺す、引っ掻く、そしてまた引っ掻く。

「痛いですかぁ?」

「痛いです」

「痛いですかぁ?」

「痛いです」

「これは?」

「。。。痛いです」

 

一通り、やられていて分かったのは、手足を動かす力はないが、感覚はあること。

だから、引っ掻かれる度に、痛いって言っているでしょうがぁ!!っと思いながら、「痛いです」と答えていた。

 

入れ替わり立ち代わりの検査が続いていましたが、穏やかなベテランっぽい医者が口を開きました。

 

「前の病院の先生が診断した通り、ギラン・バレーっていう病気の可能性がある。聞いたことある?」

 

昨晩、いろいろと検索した中にあった名前だと答える。

すると、

診断には時間がかかる病気であること。

進行が速いため、診断を待ってから治療したら手遅れにある可能性があること。

明日は日曜なので、通常は新しい処置を避けるけれど、そんなことは言ってられないくらい僕の病状の進行が特に早い為、正直焦っていること。

すぐに処置をしたとしても、今日中には人工呼吸器をつけなければならない可能性があること。

など、いろいろと説明してくださりました。

 

そして、前の病院の医者の判断を絶賛しました。

「前の病院の先生がいい判断をしてくれた。何の病気か分からないまま入院して、大変になってからここに運ばれてくることもある。検査で数日かけてしまったら手遅れになるところだったかもしれない。すぐにここに回してもらってよかった。僕たちは専門だから、どうすれば良いかわかっている。大丈夫」

 

そして、この病気に対する対処法として、効果があると言われている方法が、血漿交換とガンマグロブリン投与の二つあることを伝えられました。

 

簡単に言えば、

ギラン・バレーは、本来の免疫活動では外敵を攻撃するハズの抗体が、外敵だけでなく間違って自分の神経を攻撃してしまうことで神経が傷つき、脳からの信号が送れなくなってしまう病気(と見なされている)。

血漿交換は、血液から悪さをしている抗体を取り除くというもの。

ガンマグロブリン投与は、正常な抗体を大量に血液に送り込んで正常化するというもの。

 

そして、二つのうち、血漿交換を勧めたいとのこと。

 

投与したグロブリンの効果が薄かった場合、血漿交換すると、折角投与したグロブリンも取り除くことになってしまう。先に血漿交換をすれば、効果が薄かった時に、グロブリン投与の効果を追加できるというのがその理由。

 

「すべて任せてくれるかな」

 

もちろん、断る理由もなく、すべてお任せすることに。

 

一旦、方針が決まればそこからが速かったです。さすが、救急救命

また別の部屋にベッドのまま運ばれると、数人の医者と看護師に囲まれました。

 

そして、集中治療室?の様なところで、治療が始まりました。

 

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ギラン・バレー発症の記憶5

このブログの存在を、妻とその周りにバレてしまったので、表現に制約が発生しそうなタケです。しかし、日本国憲法第21条の精神に従って引き続き頑張ります(笑)

 

第二十一条

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 

さて、ダブルのベッドの間に頭から崩れ落ちた感じでうずくまりながら、救急車をまっていたところからです。

 

流石に救急車というだけあります。まるで近所で待機していたかのように、予想以上に早く、サイレンの音が近づいてきます。

1階が騒がしくなったかと思うと、3人の救急隊員が布の様なものを持って2階に現れました。

ダブルベッドの間に頭から崩れ落ちている男の姿を見つけると、手際よく布の上にひっくり返して持ち上げました。気分はハンモックです。

そして、廊下を抜け、階段を素早くかつ慎重に運び下します。

 

この瞬間は、1週間くらいは入院しなければならないかもと考えながら、妻に病院で仕事できるように、持っていく荷物の中に会社のパソコンを入れたか念のために確認する。

1階まで着いたら、そのまま床に下ろすことなく玄関から外へ、そのまま救急車に運び入れられる。

 

既に朝ご飯を食べ終わり、お出かけセットを完了している妻たちは、そのまま救急車に乗り込めることに。

子供たちに救急車に乗るという体験をさせてあげたかった為、出かける準備を終えてから救急車を呼んだことが功を奏したと心の中でガッツポーズ。

 

出発とともにサイレンが響き渡る。

朝から少し近所迷惑かなと思いましたが、すぐさま近所から離れていくため、勝手に良しとしてしまう。

 

救急車の中では、隊員の人が、ちょまたちに、仮面ライダーや戦隊ものの話をして和ませてくれました。自分の息子も見ているらしいです。

 

着いた先は、某病院。

どこにあるのかもよく知りませんが、家からそんなに離れていない気がする。

 

救急車から担架のまま降ろされ、病院の中へ。

入り口から右の、大き目な診察室に担架のまま運ばれる。

妻と子供たちは、診察室の外。入り口の近くに待機するところでもあるのかしら。

 

診察室に入った途端、とりあえず点滴。点滴ってそんな感じなんですね。

点滴を打たれながら、医者に昨日からの経緯と症状を伝える。

特に海外に行っていたというところは、事細かに聞かれます。

一通り、話が終わると、このお医者様、後に絶賛される診断を下します。

 

「ギラン・バレーの疑いがある。この病院じゃ無理。急いでどこか大学病院へ」

 

どこでもいいから大学病院空いてないかと救急隊員や看護師に伝え、診察室の外にいた妻に説明をしたのちに行先の病院が決まった様で、

 

おっ、子供たち、また救急車乗れるじゃん、などと呑気に考えながら、再び、担架のまま救急車に戻されていきました。先ほどとの違いは、点滴がされているってことくらいですかね。

 

そして、はたと気づく。

 

おしっこするタイミング逃した!!

ちょっと、そろそろしたいんですけど。

 

先ほどよりも遠い道のりを経たのちに、着いた病院は、とある大学病院。

もはやどの辺まで運ばれたのかさっぱりわかりませんが、今度の病院は、先ほどの病院より大きそうです。

 

担架のまま病院に入ると、これまた右側の部屋に運ばれました。

今度の病院は、医者が複数で対応するようです。

再び、医者に経緯と症状を伝える。

昨日、歩いていたら急に歩みが遅くなったのを感じたこと。
お婆さんに抜かれて行ってショックだったこと。
徐々に腕にも力が入りづらいと感じたこと。
夕方には、階段を上れたこと。
夜には、手すりにつかまらないと階段を上れなかったこと。
朝になったら、手も足も力が入らなくなり動けなくなったこと。
二週間前にオーストラリア、一週間前にアメリカに出張で行ってたこと。
行ったのは都市部であること。
など、話ながら質問にも答えていきました。

 

一通りの質問のやり取りが終わったころを見計らって、こちらからも大切な質問を切り出しました。

「検尿とかしないんですか?」

もう、出したくて仕方なかったのです。

膀胱君が暴胱君になりそうなくらいです。

 

それなのに返ってきたのは、「あぁ、後で尿もとるかもね」と何とも生ぬるい返事。

こちらの状況が全く分かっていない。

 

「あの、朝からおしっこしたくて、我慢しているので、出来れば今すぐ検尿してほしいです」

と、切羽詰まった感じでもう一押し。

 

すると、漸く切迫感が伝わったのか、「入院するのは決まっているし」などと言いつつ、「バルーン」と呼ばれる尿道カテーテルを挿し込むことに。

 

ちなみに、どうでも良いですが、英語のcatheter(カテーテル)のアクセントは、頭にあります。日本語では第2音節にアクセントですが、英語は第1音節です。カタカナ語では通じにくいのでご注意を。

アクセントが頭にあるなんてトーソーシンみたいですね。ってネタが古すぎるか。

 

 

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